赤プリの様々な種類

1960年にI内閣が登場し、その看板だった高度経済成長政策に後押しされ、日本経済は急激に活況を呈してくる。
しかし、基本資材は製造業の復興に割り当てられ、ホテルなどの建築は後回しにされた。 ようやく建ったホテルは、銀座東急ホテル(1960年。
2002年に老朽化のため閉館)、パレスホテル(1961年)などほんのわずかにとどまった。 特筆すべきことは、オリンピックに間に合わせるべく以下の事業が突貫工事で完成されたことだ。
日本初の高速道路(首都高速の羽田から都心まで)、モノレール(羽田から浜松町)、および東海道新幹線(東京から大阪まで)。 東京オリンピックは国家的プロジェクトであり、官主導の1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催にあたり、来日する諸外国の役員、報道関係者および観光客が宿泊できるホテルがほとんどなかったため、慌てて東京にホテル建設ラッシュが始まった。
オリンピックに間に合わせるようにつくられたホテルとしては、ホテルオークラ東京(196年)、東京ヒルトンホテル(1963年、キャピタル東急ホテル、閉館)、ホテルニューオータニ、羽田東急ホテル(日本初の空港ホテル、閉館)、東京プリンスホテル(以上、1964高度経済成長のおかげで、日本の製造業は急速に伸長した。 メイド・イン・ジャパンの工業製品は世界各国へと輸出され始めた。
こうした取引のために各国から来日する外国人バイヤーの宿泊の場として、また、当時のわが国の会社のオフィスは冷房がないのがふつうの貧弱な設備だったので、会議、商談、および懇談の場として、ホテル利用のニーズが高まった。 こうした企業の交際費利用こそ、黎明期の日本のホテル産業を支え、かつ育てた原動力にほかならない。
最盛時には6兆円以上といわれた日本独特の″法人交際費″の存在抜きに、日本のホテルの成長は考えられなかったといっても過言ではない。 「ホテル・リッツ」(1880年、パリ)をはじめ、20世紀初頭の欧州の大都市、保養地に宮廷生活を彷彿させる上流階級ご用達のホテルが誕生。

それら近代的設備の充実した大型ホテルの総称。 1970(昭和45)年に大阪で万国博覧会が開催された。
日本の主要な民間企業が競ってパビリオンを出した。 これら日本企業が世界へと自己PRをする絶好の場であり、オリンピックとは違ってもっぱら民間のイベントだった。
183日間の会期中に、実に6400万人もの人が訪れたが、その大部分は全国各地からの日本人観光客であり、わが国の″レジャー時代の幕開け″となった。

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